俳句同人誌 景象 表紙のことば









支点と質量による「水平考」


二つの自然石を任意に置き、その頂点の高さが等しくなるように調整し、その上に鉄板を置く。頂点の位置が鉄板を等しく二分割していなければ、鉄板は傾く。そこで、鉄板が水平となるように石を上に置く。
 完成した作品はあたかも、鉄板と自然石のコンポジションに見えるだろう。
 私はコンポジションを「画面を構成する要素の量と位置とサイズを自由に変化させ、最終的には作者の目と感性によって、絶対的な量と位置とサイズを決定すること。」と考える。そこには、確立された自我の存在が不可欠だが、私は、そのようなコンポジション、つまり自我を無くした表現を模索してきた。
 もちろん、鉄板を水平にすることが目的ではない。そのことに意味はない。しかし、そのことで、石の数や配置が必然的に決定され、私の判断がそこに反映されないことに意味を見出している。
 現代の推進力はエゴイズム、つまり、人間の飽くなき欲望である。欲望の追求は深刻な環境破壊を招き、芸術の世界では、時に醜く、歪んだ表現を生んできた。エゴイズムは自我そのもの。自我の表現が長く芸術の目的であり、それは今後も変わらない。しかし、私は、自我を超えた存在としての自我の確立と、その確立した自我の表現を求めている。それは無作為の自我と言ってもよい。








Fig drawing


1978年制作の作品である。28歳、35年も前の制作だ。別々に書いた、約60cm正方のパネル12枚を構成したもの。長い間、バラバラで保存していたが、豊橋市美術博物館に収蔵されることになり、額装していただいた。美術を意識して制作しだした最初の作品である。
 「美術に係わることでデザインが大衆に迎合しない。デザインに係わることで美術が社会との接点を見失わずにすむ。美術とデザインの斜面が造る山の稜線上を歩け。どちらへ足をとられても谷に落ちる」今もデザインと美術、二足の草鞋をはきつづけるという、私の生き方を決めた、画家・山口長男の言葉は、この作品を前にしてだった。
 イギリスの女流画家ブリジット・ライリーの作品写真を手にして「 縦縞のカーテンが風に吹かれれば、このような波の模様を描く。水面に風が吹き波立てば、やはりこのような模様を描く。絵描きの仕事とは、そのような結果として起きてしまった現象を描くのではなく、現象を起こす眼に見えない風を描け。」と教えられたのも、その時だった。私の模索の原点ともなった作品だ。
 豊橋市美術博物館の新収蔵品展で、ひさびさの再会。この形で見るのは、私も35年ぶりである。手前味噌だが「オッ。いいじゃないか。」と口走ってしまった。と、同時に、35年間悪戦苦闘し、少しは進歩したと思っていたが、あまり変わらぬことに、納得もし、安心もする。








Straight Line あるいは線庭


2012年、正月早々、「現代美術展 in とよはし」の準備に追われていた。会場の豊橋市美術博物館が建つ、吉田城趾(豊橋公園)の一画には、その歴史を物語る石が多数残る。あるものは石垣の一部、兵舎の門扉と想像できる切石がある。どこで使われたのか蹲や、2頭のライオン像まである。それらを美術館の前庭から裏庭まで約100m、館の中心を貫き、一直線に並べようというプランの作品だ。
 芸術は自己表現である。そこで問われるのは独自性であり、個人性である。自ら加工した石はかけらもない。そればかりか、線上の中庭には開館以来鎮座する、私とは趣味の違う石彫もある。線を中断させる池や通路以外にも、様々な障害となりうる施設があり、その上、床や地上面には模様まである。それらと、一旦、対峙する姿勢を見せれば、それら全てが障壁として立ちはだかることになる。
 妥協でもなく、あきらめでもなく、一切を排除せず、全てを許容し、委ね。選ばず、迷わず、考えず、ただひたすら並べる。しかし、人は考えを止めることはできない。作為無くして、石は一直線に並ばない。ではどうすればよいのか。石を一直線に並べると決めた、その刹那に、その後、起こりうる全てを許容できるプランであったか否か、それが全てで、その後の推敲などは、枝葉末節に過ぎない。炬燵に潜り込み、プランがフッと湧いて出てくるのをまつばかり。出なければそれまでである。








支えあう二叉と重力と張力を支える枝


本誌87号でも紹介した張力による構成。87号は三つの張力を生み出す円弧の頂点が構造を支えたが、今回の作品は麻紐、石、二叉を持つ枝と真っ直ぐで短い枝が支え合っている。
 麻紐は容易に結ぶことができ、自由に形を変えることもでき、引っ張りに対して強く、その時空間に直線を作る。枝は長さ方向に直交する力に対しては容易に反り、その時張力を生む。反対に細い枝でも長さ方向に平行する力には大きな応力があり、枝は容易に張力に対抗する。しかし、枝や麻紐は軽い、風を受ければ簡単に倒れる。そもそも弓なりの形状では簡単には立たない。二叉の枝を選び、そこに石を据えれば安定し、且つそれを底辺として石の重さが全体を立体として立ち上げることができる。上面の平らな石ならば、礎石としての役目も果たすことになる。
 と、小難しいことを並べているが、そもそものプランは枝を垂直に立てること。上手に鋸を入れればそのままでも枝は立つ、しかし直ぐ倒れてしまう。ではどうする。穴を掘り少し埋める方法もある。諏訪神社の御柱がそれである。杭を打ちそれに縛り付ける方法もあるが、彫刻としては杭と柱の形状が難しい、いかにもそれでは艶消しである。二本の杭に固定し、柱の頂点から三方に縄を伸ばし、地盤に固定すれば長く大きな柱でも安定する。祭りの幟だ。そんな難しく考えずとも、上から手で押さえつければ倒れない。だが永遠に押さえつける訳にもいかない。手に変わるものは無いか。すると先のようなことが頭のなかを巡ることになる。








制約のない集合


この夏、豊橋市美術博物館で立体の作品をまとめて並べる機会を得た。表紙はその内でもっとも古く27年前の制作になる。作品制作で残った枝を集めて麻紐を巻いたものだ。残り物だから、長さや太さや形状がすべて違う。麻紐でまとめきれず。雑多な枝が飛び出した辺りが面白い。
 印象派・モネの連作「睡蓮」は良く知られている。季節により、天候・時刻により、同じ景色が光を浴びて様々に変わっていく。その感動をキャンバスに留めることでそれらは作られた。連作やシリーズは単なる形式と考えてはならない。それは光をコンセプトにした印象派ならではの必然性の形式だ。印象派のコンセプトそのものであり、結果として、自然の豊かさや無限の可能性を教えてくれる。
 新しいプランは、思いついたら間を置かず、ただちに制作すればいい。やっかいなのは、以前の作に似たプランでの制作だ。前作の残像が残っていると、単なるバリエーションに陥りやすい。前作がどれほど良くても、次は保証されない。自らも前作に納得し、評判が良かった場合ことさらに用心が必要となる。「枝を束ねて麻縄を巻く」このプランは断続的に試みている。長さが同じものを束ねたり、樹種や形状でもまとめてみた。麻縄を変え、時には蔓草も利用した。前作の残像を消し、必然の結果を残すには時間がもっとも有効だ。そして、忘れたころに次の手がふっと浮かび、すかさず手を動かす。そのため、このシリーズのわずかな制作に約30年を費やし、今も続ける訳である。








張力を支える三本の直線


作品とは、自我の具現化である。自我の追求は自由の希求である。求めたのは、自ら以外の全てからの解放だった。芸術の歴史とは、自然美の拘束から離れた人工美への模索でもあった。自我は欲望と置き換えることもできる。欲は成長の糧である。欲があるから、創作活動も継続できる。しかし、その活動を阻害するのも、また欲である。芸術は人間の行為の結果である。つまり作為の結果である。作為は欲である。この地球を人間中心で見れば、欲望の塊と言っても過言ではない。個々人の自由な欲望が現代の繁栄を造りだすのだが、時にそれは行き過ぎ、多くの環境問題をもたらす。原発事故もその一つだ。
 今回の表紙は枝の持つ弾力を生み、かつそれを支える枝と糸が作り出す関係がテーマである。原発に比すればあまりにささやかなものである。枝は細く脆い。強い弾力を作り出さなければ、枝を支える弾力も、緊張感を呼び起こす糸の張力も生まれない。
 どこまで枝はその張力に耐えられるのか。限度を超えれば折れてしまう。限界まで力を加えなければならない。
 実験を繰り返してその限界を見いだしたところで解決にはならない。プランが生まれた瞬間にその限界、その本質を同時に知ることが重要なのだ。知ること、見ることは一般的には距離を取ることで可能になる。自我の追求とは、自他の違いを際だたせることだが、答えを得るには自他の距離を無くさなければならない。それを忘れた時、枝は折れ、醜く歪む。








石と木の重さが等しいならば


景象37号の表紙の言葉で、比重の少ない軽石と普通の石を重りに使った、腕の長さの違う弥次郎兵衛について書いた。今回は、片方は石を重りに、もう片方には石の重りを乗せずに長さを延ばしていく。すると、腕全体の長さ(重さ)と石の重さがどこかで釣り合う。支点に近づけて、重りを置くと、腕は長く延びる。前回の弥次郎兵衛の重りは支笏湖の軽石と豊川の石を使ったが、今回は、湯谷温泉近くに昨年入手した、ささやかなアトリエの前を流れる豊川の支流、宇連川の石を使っている。
 立体の仕事はアトリエで図面を描いて、それに基づき材料を用意して制作したものと、現場で得られた材料を使用したものでは、その結果が大きく違う。今回使用した石の表面は、永い間河原に露出していたため苔生し、形状よりも必要な重さを重視して選ぶため、単独に石を求めた場合にはおそらく選ぶことのない形をしている。
 制作にあたり、私は「考えない・時間をかけない・直さない」をモットーにし、作品の「プラン」と制作の「手順」とその結果の「形」が同時に頭に浮かんだ場合にだけ手を動かす。やむを得ず直後に取りかかれない場合でも、さらに完成度を上げようとは一切考えない。
 私にとって作品は推敲の結果ではない。少し気取って言えば「一期一会の出会いの結果」である。
 アトリエ改装の余り木と、その土地ならではの石と、新しい住民の戯れが、露地の石畳の傍らで訪れる客人を迎えている。

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是空より


秋の個展では星野昌彦氏の「是空」に題材をとった。
 何故、美術作品に文字を書くのか。絵画とは、何を描いてあるかや、そこで造形的な何かを追求する場ではない。究極、「美的な感性に裏付けされた一定の秩序を持つ作者の描く行為によって覆われた平坦な面」である。
 私は描くことにこだわっている。画面を描くことで満たそうとしている。自らの痕跡で画面を埋めようとしている。文字には「書き順」があり、文章には文字の「並び順」が決められている。文字を書くことと通常の絵画とが、決定的に違うのは、文字の形とそれを書き表すための書き順により、ストロークのベクトルがあらかじめ決められていることである。「書き順」「並び順」に従って手を動かせば、画面が作者の軌跡で埋まっていく。
 何が書いてあるか読めないと言う人もいる。では何が書かれているかが分かれば美術は理解できるのか。であるのならば、抽象絵画は理解できない。
 題材を選ぶときには、充分にその内容は吟味する。しかし、あえて読めないようには書いてはいないが、さりとて、読めるようにも書いていない。書き終わった後も、その結果としての画面と書いた文の内容は関係ない。「文字を書く」ことの意義とは、あらかじめ決められた「書き順」「並び順」を追って、一画一画、一文字一文字を書くことで、行為の都度、意識を働かせずに「只文字を書く」ことが可能になることだ。では、文字を書く「書」は全て芸術なのか、その問と私の話は関係ない。








彫刻としてのあかり


照明もまた一つの彫刻である。違うのは内部に光を入れる空間が必要なことと、光を透す素材でなければならないことだが、時に光を透さない石なども使用し、その隙間から洩れる光を利用する。
 最近、建築の仕事をする度にその仕上げに照明を手作りすることが多い。枝を組み合わせ、和紙を張る。スイッチを入れると和紙を通した柔らかい光と不規則な枝のシルエットが心地よい。
 古来より人は明かりの周りに集まった。暗闇の明かりはそれだけで人の心を呼び寄せる力がある。彫刻としての「明かり」の怖さは、光を入れればそれなりに機能してしまうことである。それがため、彫刻として自立することは簡単ではない。枝も和紙も同様である。素材そのものに魅力がある。「素材を活かす。」その言葉は優しいが、活かしているのか、頼っているのかその判断は難しく、紙一重である。
 絵画でマチエールという言葉がある。絵画とはある一定の秩序で集められた色彩によって覆われた平坦な面といえる。その結果もたらされる絵肌がマチエールである。彫刻では素材そのものがすでにマッスではあるが、それを一定の意味を持つマッスとして形成することで彫刻となる。魅力的な素材を組立、積み上げ、空間を占拠するだけでは彫刻と言えない。









粘土を一掴み手にとる。それを二つに千切る。只それだけのことだが、それが中々難しい。
 左手は粘土が動かないように持ち、右手で前に勢いよく押し切る。そのとき、右手の親指は粘土に食い込むようにするのか。それとも、否か。前に押し切るとは言っても、それは真っ直ぐ前なのか。右前方なのか、左前方なのか、その角度は。勢いよくとはどの程度の力なのか、ゆっくりではいけないのか。そのとき、左手はどのように対応すればよいのか。粘土の堅さはどの程度にするか。考えることは幾らでもある。その選択で結果が変わる。その上、選択した動きを実際の行動に移す時、その選択を意識する度合いで、結果はまた違う。意識が残れば結果に必ず作為が現れる。といって、作為がなくては手が動かない。
 答えはすでに明らかである。制作にあたって、手順もその行為の結果も全て把握していなくてならない。しかし行為の瞬間にはその全てを忘れ、その結果に向かい、手順通りに行為するだけだと、頭では理解できる。しかし、それが中々難しいのである。 粘土を手にして、二つに押し切る。たったそれだけの事が思うようにはいかない。それがさらに複雑な行為となると、その困難は想像にあまりある。それが、簡単な行為を選択する理由である。そして、同じような行為を、いつも新鮮な気持ちを持ち続けて挑むこと、それがさらに難しい。








書とコンポジション


絵画において、色や形態の量・数・位置を自由に移動・増減し、これ以上動かすことのできない全体としてまとめ上げることでをコンポジションという。その前提として自我の存在がある。作品の姿は、作者の中に既にあり、それ故に飽くなきコンポジションの果てには必ず真理に到達するという信念である。戦後、コンポジションの概念は批判されるが、現代美術の根底に常に自我の存在を認めることに変わりはない。
 かたや「書」における空間とはどのようなものか。「書」とは文字を書くことで成立する。当たり前のようなことだが、これがなかなか難しい。文字は線の集積で形成され、「書」は線によって表現される美術である。しかし、「書」に挑むにあたって、上手い文字や読みよい文字を求めることはもちろん、良い線を引こうとか、良い文字を書こうとか、良い位置に文字を入れようとするだけで破綻が現れる。「書」はひたすら文字を書くことで成立し、その結果として線も実現され、それによってもたらされる空間もまた獲得される。その後修正することや、配置を考えることは通常あり得ない。それは、コンポジションによって作り出される空間とはおよそ違い「自我」に対して「無我」を体現することによる空間である。あるいは、「自我」を「自力」、「無我」をひたすら文字を書くことによる「他力」と置き換えても良い。








備前手捻り瓶


絵画とは、支持体つまり紙や布や板などを、なんらかの接着剤を用いて、顔料つまり色の粉で覆うこと。その覆い方に作者固有の美的な秩序が求められ、結果としての絵肌をマチエールと呼ぶ。美術用語としてのマチエールとは、絵の具その他の描画材料のもたらす材質的効果や絵肌を指すが、私の考えるマチエールとは作者が必然的に為した行為の軌跡。それは体質そのもので、創り出すものではない。
 絵画を鑑賞するにおいて、我々は何が描かれているかより前にマチエールに惹かれる。それが文学であれば、なにが書かれているかより、その文体に。それが歌唱であれば、なにを歌っているかよりも、その声質が人の心を捉えて離さない。裸婦像ならば、その女体の姿に惹かれるのではない。女体を形作っている肌のマチエール、つまりそれを生み出した彫刻家の手の動きに我々は魅せられる。それはおよそ直感的で、そこに判断の入り込む余地はない。
 今回の表紙は手捻りの花瓶である。備前の土を安曇野の友人の穴窯で焼いたものだ。土を指先で押さえつけ順に上に上げていく。そして序々に径を細め指の太さに口がいたって作業は終わる。中は空洞である。力強くと押さえれば潰れてしまう。押す力と同じ引く力で土を練り付け続けていく。その結果として私のマチエールが生まれ、花瓶であることはその結果である。

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上海日記


書いてあるのは万葉集、山部赤彦の「田児之浦従 打出而見者 真白衣 不尽能高嶺尓 雪波零家留」。中央の三角形はもちろん富士山のつもりである。
 前号に引き続き上海多倫路現代美術館の「2009上海新水墨芸術大展」に出品した内の一点。すでに日本人の多くは万葉仮名が読めない。もちろん中国人には、漢字の羅列でしかなく、読めるはずもないが、こんなでたらめな字でも一応漢字である。文章の意味は分からずとも、漢字一文字ごとはかろうじて読めるはず。読めるが意味が分からないものに対して中国の方々はどのように受け取ってくれたのか。
 今から三〇年以上前のこと、私の美術の初個展会場に植物研究者の恒川敏雄さんが訪れた。会場を一回り。私に「これは君の作品かね。」「はい」と答えると話始めた。「君の作品は少しも分からない。しかし、林檎を描いてあれば、これは林檎が描いてあると分かる。しかし、それだけで、作者がなにを表現したいのかは分からない。君の絵は何が描いてあるのかは分からない、しかし、絵の向こうに何かが有るような気がする。」
 来場者の殆どが首を傾げるだけの反応にいささかめげていた私には、次からの制作を続けさせてくれた忘れ難い言葉だった。








上海日記 その一


上海多倫路現代美術館の「二〇〇九上海新水墨芸術大展」に招待され、表紙の作品他、二点を出品した。
[五月十一日]真っ直ぐな道はどこまでも続く。山もなく、やはりここは大陸だ。高層ビルが建ち並び、中国の高度成長に目を見張る。下町の原色の看板は、中国ならではのものだが、新しい商店の看板は同じような色遣いなのに、けばけばしさが消え、トーンが統一されている。中国も無意識の内にグローバルスタンダードに蝕まれている。
 窓から、ワイヤーと棒が突き出され、洗濯ものがほしてある。滴りおちる雫をよけながら歩道を歩き、家や店先に机を出し、鍋をつつき、麻雀を楽しむのが古くからの上海の生活感だ。それも急速に姿を消しつつある。街の歴史を残しながら、新しいライフスタイルを求めることの難しさ。その点では、我々も同じ悩みの渦中にいる。
 赤信号でもかまわず往来する人と車とオートバイと自転車、ひっきりなしのクラクションにいささか辟易。レストランでは、大量の料理に加えて、喧嘩しているかのような大声の会話。雑踏の騒音がそのまま持ち込まれ、食べながら話すなと教え込まれた日本人には、食事中もパワー全開を求められ息の休まる時間がない。この猥雑さが中国の活力の現れといってしまえばそれまでだが、対抗するにはいささか当方はパワー不足。恐らく慣れるまでにはこちらが参ってしまうだろう。








万葉より


最近、万葉集を和紙にコンテや鉛筆で書いている。何故、万葉集なのか、深い意味があるわけではない。書く前には、一応歌意は把握している。しかし、しばらくすれば忘れてしまう。生来の悪筆の上、読み良さよりも、文字を書くことに専念し、いきおい書く動きを優先してしまうため、結果は書いた本人でも解読は難しくなってしまう。後々のために画面のどこかに、歌の番号をかいてある筈だが、それすら読めず、歌を聞かれて、四苦八苦することも珍しくない。
 それでも、万葉集を選ぶ理由は、まずそれが万葉仮名、つまり漢字であること、文字数が手頃であること、歌の数が多く、内容が多岐に亘り、現代の我々でも理解できるものが多いからである。書く以上は当然、抵抗のある内容は書きたくはないが、その内容を積極的に表現しようとしている訳ではなく、万葉集、つまり文字を書くことで自ずと実現される空間に惹かれているのである。
 文字は一度、それを文字と認識してしまうと多くの人は読もうとする。読めないといらいらする人も多い。読めると安心する。それで作品が理解できたと納得してしまう。
 しかし、それでは抽象絵画やそれ以後の現代美術は理解できない筈だが、それらは、芸術の分野ではすでに認知されているため、なにが、描かれたが分からないという非難は発言しにくい。しかし、文字を素材とすると、状況は一変、ときに教養という無知が邪魔をする。








割れより 陶


粘土を一掴み丸め、二分する位置に、切れて離れる寸前まで、切り込みを入れる。それを開いたり、横にずらし、乾燥させ、焼成する。言葉にすれば簡単だが、完成までに、結果からは見えない様々な工程がある。まず、好みの粘土を作る。それが最終のテクスチャーを左右する。通常では考えられない程、粗野な土を調合する。切り込み入れる前、底から穴を開け、二分したそれぞれを空洞にする。この処理を省くと、乾燥・焼成の段階で必ず割れる。それが焼成時だと、爆発して回りの作品を壊したり、最悪の場合窯が損傷する。空洞も壁が厚いとその効果はない。薄いと開いたり、横にずらす時に形が崩れてしまう。この作品は球形にした指痕のマチエールと、切り込みの強さと、その後の変形のコントラストが要だが、躊躇や粗雑さは不自然な痕跡を残す。切って開いたままの乾燥は、その重みで必ず割れる。そのため支えが不可欠。表面が乾きだす前に釉薬を効果的にする白い化粧土をかける。乾燥も長時間だ。室に入れ、一ヶ月ほど乾燥した後、釉薬を施す。ガラス質の釉薬は光沢が基本だが、少し褪めるように調薬する。焼成はおよそ一昼夜。同じ時間、冷ましてやっと窯だし。これだけの工程が必要である。では、丁寧あるいは経験を積んだ工程を積み重ねれば、作品は出来上がるのかと問われれば、それは違う。作品とは、瞬間の決断の連続の総体なのだ。








填より


彫刻とは字のごとく「彫り刻むこと」。つまり石や木や粘土などから「ものの形」、それが具象的であれ、抽象的であれ一作者のイメージにそって一立体的にかたちづくること。これが彫刻の一般的な概念だろう。二十世紀の彫刻家の一人ブランクーシはフォルムの自立と素材に徹底的にこだわり追求し続け、フォルムに対して異なる素材でのアプローチも繰り返し行われた。
 対して、私がこだわるのは、素材と形の「関係」である。それ故、素材の変化は形に決定的な差異を生み出すこととなる。今回の作品「填より」は鉄製の型の中に樫の固まりを置き、そこに溶けたアルミニウムを充填した。溶湯の温度は約七百度、ふれれば樫といえども瞬時に燃え始める温度である。幸い、アルミニウムの熱伝導率は高く冷えるのも早い。表面は燃えても内部まで燃え尽きることはない。その上、溶湯に覆われた部分は無酸素つまり蒸し焼き状態で炭化する。充填したアルミニウムに対して、木の部分が大きい場合は溶湯は木と型枠の隙間を求めて流れ、表面張力で先端が丸まりながら途中で冷えて固まる。型枠を外すとアルミニウムは強く木を」つかんで一体となっている。アルミニウムの性質と木の性質が出会うことでのみ作り得る「関係による形」の一例である。

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円柱の剥離と集積〈粉引〉


 今回の仕事も前・前々号の仕事と同じく、一つの固まりの一部を移動あるいは変形したものだ。鉄、木、そして今回の土と素材によってコンセプトは同じでも結果は全く変わる。円柱形の土の固まりの四角を剥ぎ取り、残った角柱の上に積みあげていく。積み上げたものも再び四角を剥ぎ取り、さらに積み上げていく。そして釉薬を掛け、登り窯で焼いて完成である。
 見た幾人かが沖縄でみられる獅子像「シーサー」のようだという。勿論、そんな意図はない。マチスらフォービズム(表現主義)の作家達は外界の再現を求めず、何よりも色彩を絵画それ自身のために用いた。ピカソを始めとしたキュビズムの作家達は対象を同時にあらゆる角度から認識して同一画面に描こうとした。20世紀初頭の美術の動きである。同じころ牛や鹿など動物を好んで描いたマルクはこんな言葉を残していた。「芸術の本質は自然からの大胆な決別である。」クレーもまた、同様の言葉を残した。「芸術は眼に見えるものを再現することではなく、見えないものを見えるようにすることだ。」そして、モーリス・ドニはこうも言っている。「絵画とは戦場の馬とか裸婦とか、その他何かの対象である前に、ある一定の秩序で集められた色彩によって覆われた平坦な面である。」そして彫刻も三次元の再現を超え、三次元の世界でヴォリーム(立体感)そのものを求めることになる。

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剥離による二つの窓


 この2、30年やっていることといえば、固まりや長い形を切ったり、貼ったり、位置を移動しているだけである。ひと当たり制作が終わると、頭の中はすっからかんで何も残っていない。制作は「考えない、時間をかけない、直さない」と標榜しているてまえ、次に何も思い付かなければ作家活動はこれで終わりだと、いつも自らに嘯いてきた。
 それでも良くしたもので、しばらくボーと時間を費やしていれば、その内には新しいことを思いつくものだ。大喜びで早速手を動かせば一応新作が残り、それなりに満足する。しかし、作る前は、大発見と思ったのに、何のことはない。結局は前と同じことの繰り返しで、何も変わっていない。それでも少しは進歩があれば救われるのだが、中々そんなにうまい具合にはいかない。
 若い頃から、作為が表に出る仕事がいやで、それを無くそうと心掛けてきた。それが、自らを小さくまとめてしまうのか、無作為の境地が開けるのか、分からないまま続けてきた。最近は、それが本来の自分だったか、作りあげてしまった自分なのか。良かったのか、悪かったのか、それすらも分からない。
 それでも変わりばえのしない、人から見れば他愛いのない思い付きに大喜びできる間は作り続けることも出来るだろうし、自ずと作品の居場所もあるだろう。

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長方形の上の十枚の剥離


 花とだけ向き合った一年が終わり、「花頌抄」も上梓し、ほっと一息の筈が、気がつけば美術の個展が目前にせまっていた。しばらく離れていたため、いささか不安を持ちながらも、いきなり助走無しのフルスロットルを余儀なくされた。
 表紙は、鉄の角棒の上半分に切れ目を入れ、鋸の残りに熱を加えて伸ばし、剥離していったものである。「鉄は熱い内に打て」とはよく言ったもので、赤熱した鉄は実に柔らかく、飴のように形を変化させる。生花は、元の姿から、必要な部分だけを抽出し、最も美しい花の形を提示する。私の彫刻は材質にある行為を加えることで、元々材質が持っていた性質が抽出され、それを提示する。彫刻と生花とでは抽出の方法が少し違う。しかし、重要なのは、恐らくその違いではない。
 これまでの美術では、作家の考えに素材を従わしてきた。それが一筋縄ではいかないことから、技術の修得を難しく言った。素材がいやだと言っているのに、無理にでもこちらを向かせてきたという嫌いもある。
 果たして、素材と作為は常に対峙しなければならないのか。物を作るに、作為無しでは何事も始まらない。しかし、作為が表に現れると、実に見苦しい。といって作為を押さえすぎては楽しめない。その兼ね合いと言うか、攻めぎ合いが、私の制作の思考とでも呼ぶ代物で、醍醐味でもある。

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蔓梅擬き


 私の生花に星野先生が句を詠んだ「花頌抄」を春に出版する筈が夏になり、その夏もついに立秋を過ぎ、暦の上ではとうとう秋になってしまった。このままでは狼中年になってしまう。今秋には必ず上梓しなくてはと、汗をかいている。しかし、この夏は暑い。編集が進まないと、つい暑さのせいにしたくもなるが、この暑さは何も関係ない。
 花を生けることの特質とは何か、それは生きた自然相手であることだ。そして、前提として、花は全て美しい。自然に良いも悪いもない。全て必然の形と色を備えている。良い花悪い花、美しいも醜いも、全て人の心の中にある。生ける形を決めて花に向かえば、それに相応しくない花は悪い花となる。美とは何か、民芸運動の柳宗悦は「自在心が相をとったもの」と定義した。自在心とは囚われない心、無心のことだという。花の美・醜をきめるのは己に囚われた分別である。己に囚われなく仕事をするには、あれこれ考えてる余裕は必要ない。その点花は有難い。花はいつまでも待ってはくれない。花を摘んだ時には全てが決まっていなくてはならない。   
 ところで、花に美醜は無いと言いながら、好き嫌いは無視できない。純粋に好き嫌いで花を摘み、枝が切れれば、そこに判断や作為の入り込む余地はない。

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蛍藺


 昨年の三月以来、星野先生に句を詠んで頂くため、毎週一度、その週の花の写真を持ち、お宅にお邪魔するという、一年が終わった。撮影点数はおそらく千二百点を越えた。生け花は野山に咲く花に鋏を入れ、ただ花器に抛げ入れるだけでも充分である。そんな単純な行為を、平均すれば一日三点、休まず続けたことになる。最終的に一冊の本になることを考えれば、同じ器、同じ方法は何度も使えない。作為を感じさせず、生ける側にも、それを見る側にも飽きのこないもの、それは容易なことではない。恐ろしいのは自らが「生ける」ことに飽きてしまうことである。発想がつきる場合もある。人の発想には自ずと限界がある。同じことの繰り返しには必ず飽きがくる。常に新鮮に花に向かわなくてはならない。人の行為には必ず作為がある。しかし、作為を見せてしまっては艶消しである。そのためには前もって考えず、花にただ向かうことでしかない。直感が全てである。判断するとそこに作為が隙をついてくる。「直感はあやまたない。判断こそがあやまちである。」誰の言葉だったか。「考えない。時間をかけない。直さない。」これは無器用な上に、ねじふせるだけの力や技も持たず、委ねるしかない私がやっとたどり着いた方法である。真似をしてもらっては困る。

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薮椿


 飽きもせず、花を生けている。生け始めて一年。撮影点数はすでに千点は越えただろう。量より質という言葉がある。はたして質は量を凌駕することができるのだろうか。少しでも良いものを残したいと日々心掛けている。しかし良い仕事だけ望んで、できるものではない。誤解を恐れずに言えば、質は駄作の量に比例する。土砂を山に盛り上げてみると、山の高さは土砂の量に比例する。出版の仕事を始めて多くの若者が事務所を訪れるようになった。写真撮影の心得として、一番に教えることがある。「とにかく沢山のシャッターを切る。」「あらゆる視点から見る。」「一枚でも多く撮影できること、それが才能。」とかく写真が旨くない者は、撮影点数が少ない。わずかな撮影で簡単に納得してしまう。簡単なようだが一つの物に対して、数多くシャッターを切るのは以外と難しい。そこにわずかでも違いを見い出せないとシャッターは中々切れないものだ。このことは初心者もベテランも変わらない。創作の前提として、例えば「感動」のようなもの、あるいは「発見」が必要となる。数多く作るには、この「感動」「発見」がたえまなく続かなければならない。無理矢理ひねり出すようでは長く続かない。量を作れることが結果として質を生み出すのだ。その意味で量は質を凌駕する。

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 最近頭の中から「花」のことが離れる間がない。我が家の犬「花子」と共に、朝に休日にと散歩に出掛けては手折った花を生け出して八ヶ月が過ぎた。撮影点数もついに800を超えた。一日平均三点以上生けている計算になる。花は無限だが、それにもおのずといくつかのパターンがあり、頭でひねり出していると、やがて類型化することは目に見えている。そのため最近はアトリエで花を見た瞬間の感覚に忠実に生けている。ほとんど何もしていないかのように投げ入れることも増えてきた。誰が生けても一見同じように見えるだろう。人はそう見られることを恐れ、他の人との違いを見せようと努める。しかし、人間とは本来そんなに能力差がある訳ではない。我が愚犬花子より早く走れる人はいないだろうし、鷹の目のように遠目のきく人もいない。キリンより背の高い人もいなければ、亀のように低い人もいない。誰が何を行っても人間の範囲で、実は似たり寄ったりで、能力の差は本来わずかでしかない。才能とは「世の求めることに対して良き解答を出せること」を指す言葉であるが、本来わずかでしかない差を最大限大きく見せることのできる能力も又、才能と呼ばれるものだろう。花は誰が生けても花だし、俳句は誰が詠んでも17文字で大きな違いはない。しかしそのわずかな差が問題なのだ。

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「をかし」と「あはれ」


 花を生けるという。また立てるともいう。野にある花に鋏を入れて一度命を断つ。それは命の供給源、水を断つことである。と共に根・幹から切りはなし、支える力を奪うことでもある。一度鋏が入ればそれ以後自力で立つことはできない。そこで水を入れた花器に挿すことで再び新しい命を咲かせ、同時にそれを支える構造を作り出すことが「生ける」こと「立てる」こととなる。新しい花の命はどのような場合に感じるかといえば、まず第一に花や葉や茎は首筋を伸ばししゃんと立っていなければいけない。うなだれていてはいけない。全て天に向って起き上がっていなければ艶消しである。その上にまず安定していなければならない。しかしそれも過ぎれば肩苦しく、適度な「をかし」が必要となる。「をかし」くあるためには、そこに常でないものが求められる。つまり格別な「おもしろい」「興味がある」「優れた部分」「美しい」などの状態を創りださなければ「をかし」とはならない。
 表紙は東南アジアの木の盆に水を張り、中央に水車の枠の欠けらを立てている。そこに姫檜扇水仙を立て掛け、山芋の蔓と葉をからませてみた。すると木の屑が現代彫刻のように見えてきたのがおもしろい。その「強さ・堅さ」と花の「あはれ」の関係に「をかし」を感じるのである。

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花を生ける


 このところ毎月曜は花の日と決めて、日がな一日花を生け、家の中は花で埋まる。それを片端から撮影している。まだ寒い頃から始めてすでに二百枚程の写真がたまった。一枚ごとに景象主宰の星野昌彦氏に句を詠んでいただいている。まことに贅沢な話だが、来春にはその中から厳選し、花と俳句をセットにして出版しようと、至福な時間を過している。
 「花は野にあるように」は利休の茶花の教えである。全て野の花は美しい、といってそのまま生けただけでは芸術の美しさには程遠い。同様に野にある花を写真に止めただけでは少しも美しくない。何故か、そこに人の手が加わったからである。
 降った雨は地を潤し、栄養を運び、水は根と共に大地を支え、養分を茎から葉・花へと万遍なく運び、やがて、再び天に昇るという循環を繰り返す。自然には完全調和の摂理がある。一つの余分な働きもなければ、それ以上必要なものもない。花として生けることも写真に撮られることも自然には無関係で迷惑な話である。命ある花にハサミを入れる以上、それに代わる価値を作り出せないならば花を生ける意味はない。芸術から受ける感動と、自然のそれとは違う。しかし、良く出来た芸術は自然に優るとまでは言わないが、決して劣るものではない。それが故に我々は芸術の可能性に懸けることができる。

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 ある時、手に入る土のことごとくを茶腕の形に成形して陶器窯に入れ、1250度で焼いてみた。必ずしも粘土ではない。篩や水簸もしていない。当然のこととして、大小の石が混入し、可塑性もきわめて低い。土は焼かれる過程で縮む、それに反して混入した石は縮まない。石は土を破って陶芸的には石ハゼと呼ぶ結果をもたらす。今回表紙に使用したものはその激しい石ハゼを見せている。
 陶器に使われる粘土は焼いただけではその多くが水漏れする。そのためガラス質の釉薬でコーティングすることで水濡れを防ぐ。今回、もちろん釉薬は使っていない。そのほとんどは濡れるどころではなく、茶碗としての使用は考えられない。高さ八センチ程の茶椀型に成形するのだがあまりの可塑性の悪さにその半ばにしか積み上げられず、一五ミリ以上の厚さが必要な土もある。つまりここでの成形は、土の持つ性質が作り出すことになる。一般的に制作とは、頭で考え出した形を習得した技術を駆使して作り出そうと、最も適した材料を良い素材だとして選び抜く。しかし、素材に良いも悪いも無い。良否は作者の意志が作り出す。素材に委ねてしまう物作りならば悪い素材の筈だったものが、反ってその素材なりの表情を見せてくれる。そして、時に意図を超える。

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四角の中に


 随分昔、廃校を利用した美大の学生達の合宿場に出掛けた時のことである。校庭の片隅に陶芸の窯に使う古い耐火煉瓦が積み上げてあった。なにげなくその煉瓦を四角に並べてみた。ことさら作品にしようとした訳ではなく、観客を想定したものでもない。もちろん学生達に見せようとしたものでもない。わずかな接点のみで支えあう煉瓦は、人がふれればもちろん、少し強い風が吹いただけで簡単に崩れてしまう。といって固定してしまっては面白くない。煉瓦を接着材等で固定したり、型をとりブロンズに置き変えれば、さらに複雑な形、重力に逆らう形も可能だが、それはいささか私の求めるものとは違う。そもそも美術は色や形を見るものだが、ここでは物と物の関係、つまり煉瓦の形と重さの「関係が作り出す形」を見ることになる。今にも崩れそうな、あやうい関係が作品を成立させる大きな要素となる。
 しばらくながめて、煉瓦を元の場所に戻し、残ったのはたった一枚の写真のみである。しかし、それ以上のものが記憶に残っている。美術は形として残るが故に美術館やギャラリーに運ばれ、作品としての発表を可能にしてきた。しかし、残すこともできず、一度崩してしまうと再現も難しい、このようなものもまぎれもなく美術の一つなのである。








立体交差する分割


現在では珍しい木挽きの板が手に入った。巾六十センチ、厚四センチ、長二メートル。楓としては大変な大木から挽かれた板である。虫に食われて使えない部分を除いた一・八メートルを三等分して机を作った。と言っても切断した部分を直角に冂形に組み立てるだけである。ところが古い木口が木目に対して直角ではない。カットすると目的のサイズに満たない。そこで木口の角度に合わせてカットすることにした。当然、天板は菱形、足の材は前後に少しづれることになる。それが面白いと思った。天板は幅反りを起こしているため、中央がくびれている。サンドペーパーで仕上げただけの鋸跡は荒くもなく、仕上り過ぎることもない。長い年月―おそらく戦前に挽かれたもの―の自然の汚れ、それら全てが相俟って好ましい表情を醸し出す。椅子は手持ちの欅の板を同様に組み立て、机に交差させた。材を無駄なく、最大限に利用する。その上で加える行為を最小限にしつつ、その多くを素材に委ねるプランを常々心掛けている。それは素材に阿ることとは違う。全て思い描く通りに作り上げたとしても結果が約束される訳でもない。それが自己への執着である例がいかに多いことか。素材に自我を委ねれば、新しい素材との出会いは新しい自己との出会いとなる。

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粉引横鋸目方の延


抹茶碗の釉掛けでは胴を指で鷲づかみし、そのまま釉を掛ける。当然指でつかんだ部分に釉は掛からず指跡が残る。作る側も見る側もすでに常識で誰もそれを傷とは思わない。景色としてそれを観賞する風すらある。
 仲間達と始めた出版社で発行する季刊雑誌の料理頁のために始めた器作りだが、こうじて陶板の個展を開くことになった。砂利混じりの原土を平に延ばし、四辺を断ち落とした粘土板に板や鋸の切れ端で一本、あるいは二本、時には数本の太い線を引く。たったそれだけのことだが、それが中々難しい。力を入れずに線を引けば微かな痕跡しか残せない。とは言え、力まかせに引けば粘土板そのものまで動いてしまい線はかえって残らない。書や水墨画では文鎮を使う。和紙ならばどれ程重くても跡は残らないが柔らかい粘土ではふれただけで跡が残ってしまう。解決策が思い浮かばぬまま制作を続け、予定の過半を作り終えた頃、思い切って開いた手で粘土を押さえて引いてみた。もちろん陶板の表面に手の跡は残る。しかしそれが少しも苦にならず線は楽に引けている。
 欲深なもので作品は完全無欠なだけでは不満が残る。しかし、知識や経験を積めば積む程、傷を求めながら、傷を恐れてしまう。その上、傷はあえて求めるものではなく、自然に残った傷でなければ許せないから中々やっかいなものである。








曲線を描く反転する円柱の四分割からなる四角柱


カンディンスキーが天地が逆な自作を見たことから抽象絵画が始まったというエピソードは良く知られている。その日から画家は自然界の色や形に束縛されずに純粋に色と形だけを追求することが可能となり、自由を手に入れたという。しかし、その後の画家達は自ら描く対象を自らが作り出す必要に迫られる。無限の自然に対して、所詮は人の限界、その発想は有限でしかない。無限に自由が広がると思われた世界も実は発想の枯渇におびえ、自らの発想による作業や作品に倦怠を覚え、あるいはそのことにも気づかずマンネリズムや自己満足に浸ることのいかに多いことか。もちろん他人事ではない。私も含めて誰もがその危険性の中で制作を続けている。しかし、一度その世界を知った者には後戻りは許されない。時間を取り戻すこともできない。さりとて過ぎ去った時代を懐かしむゆとりはさらさらない。
 丸太を四分割してそれぞれを反転すると四角柱となる。このプランの仕事を断続的に続けて約20年、かなりの数を制作した。有り難いことに試みる度に新しい発見をする。二つと同じ丸太のないことと、断続的な制作ゆえに常に初心で挑めることが救いとなる。自然を忌避せず否定することもなく、もちろん束縛されることもなく、只、自然の摂理に己を委ねることで一つの形が生まれ、それを楽しむ私がいる。







六の中心を持つ円柱に内接する四角柱


根本から四本の枝が切り落とされた丸太がある。切り口に内接する四角形を罫描き、そこから丸太の中心に向って四角柱をチェンソーで切り出していく。丸太の上下の切り口も同様に切り出すと、それぞれが年輪の中心を持った六つの四角柱の集合体としての彫刻が完成する。私の制作方法は実に単純、その意味では誠に味気なく、機械的ですらある。美術作品の評価として「自由」がある。それは「因われない心」でもある。また制作中に迷いがあっては、「自由」もない。「考えない」「時間をかけない」「直さない」私の三大鉄則だ。考えないとは、直感で全てを決定すること。そこには判断の余地がない。判断とは試行錯誤すること。二者択一である。そこには迷いがある。制作に時間をかけると、その間に様々な誘惑が待ち構えている。初志を貫くことは難しい。人とは欲深なものだ。己の実力も分からず、いつも背伸びをしたい。とは言いつつ、学び、考え、常に判断することは人が人であることの証でもある。やっかいなことに直感は瞬時に訪れ、持続しない。可能な限り少ない選択肢、最も簡単な手順、最短の制作時間。全てを直感で決定し、全てをその直感に委ねる。それは機械的になることでなければ、効率の問題とも決して相容れない。







1/2が途中消滅する円柱の四等分からなる四角柱


キャタピラが動き出すと地響きがするような圧倒的なユンボの50トンのパワーは見事に樫の太い丸太を裂いていく。現代美術の最も重要な視点にコンセプトがある。「概念・発想」「表現しようとするもの」の意で使われる。私は「いかようにも美を生み出すしかない方法」と捉えている。現代美術とは一つにそのような方法を提示することだと考える。もちろん、どの枝を選び、どこで四分割するのか、繋ぎ合わせの材の形状・本数・位置、どこまで絞めるのか、その都度重要な決定だ。その選択が最終の結果も左右する。選択を間違えればコンセプトそのものも崩れてしまう。しかし選択はどこまでもコンセプトを最適に提示するため、言葉を変えれば処理でしかない。結果には必ずその元になった行為がある。それがコンセプトだ。コンセプトは方法だと先きに書いた。方法である以上、普遍性も必要になる。木の王者、堅い木と書く樫の太い丸太は人力ではどうにもならない。どのように割れるもユンボのパワーに任せるしかない。だがそれは決して偶然に頼っているのではない。その全てがコンセプトの範囲であり、丸太が変わればコンセプトは無限に違う作品を生み出していく。選択の一つ、ユンボのパワーは確実にその割れ肌に反映されている。選択の結果がコンセプトを支え、結果が常に伴うものがコンセプトに成りうる。








等分は無限の方形を発生させる。


細い枝の二又、つまりV字型を順に繋いでいくと花の輪郭のようなジグザグの輪ができる。しかしそれだけならば作品と呼べるような代物ではない。「彫刻は空間に立ち上がっていなければならない。そうでなければ、それは立体とは言わず寝体と呼ぶ。」と、ある著名な彫刻家が言っていた。現代彫刻の大きな特徴の一つが台座をなくしたことだ。結果彫刻は自立し空間に際立たなければならない。となれば、私も何とかこの技を自立させなければならない。そこで、一本の枝だけはV字型に切らずにY字型に残しそのYの字の根本に石を縛りつけると、石の重さで、枝の輪は軽々と空間に立ち上がる。ここで重要なのが、技と石の関係。枝が本体で、それを支えるのが石に見えてしまっては興醒めだ。美術とは制作以前にどのような思索を持とうが、その形がどのようなものを象徴していようが、そんなことには何の関係もなく最終的には結果としての形を見ることになる。とは言っても、枝と石と細紐とからなる形をブロンズに置き換えても良いかというと、それは意味が違う。少し大袈裟に言えば比重、硬度、強度、張力、弾力という、それぞれの素材が持つ物理的な力が不可分、不可欠に関係して生み出される形なのだ。繊細な枝に風を受けて揺らぐ、新しい関係の始まりだ。

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重量と距離は同一で均衡する。


今回の作品は一言で言えばヤジロベエである。彫刻の専門用語で言えばモビールである。中学の頃に美術の授業で聞いた言葉ならば動く彫刻である。ヤジロベエは支点と腕の長さと、腕の先に付けられた重りの積が釣り合うことでバランスを取る。その場合、腕の長さはその距離だけが考慮され腕の重さは一応無視される。しかし、今回の作品では重りの重量と枝の長さの関係のみでバランスを取ることにした。石の重りが空中に水平に止まり、その石から枝が空間で広がった形で浮遊させたいのである。支点には細糸を結び、天井から吊り下げる。なかなかバランスが難しい。枝が真っ直ぐならば割合簡単である。しかし、使用した枝のように曲がりが激しいものだと、力が下に向かうだけでなく、ひねりが加わる。わずかな支点のズレで全く希望する形にならない。1mmずれただけでも駄目である。支点を見つけるまで何度もやり直し、大変な時間を必要とした。しかし、創作することはその時間の長さには関係ない。重さと長さが同じものだということを発見した瞬間なのである。そして、出来上がってしまえば制作の時間や苦労には関係なく、あたかもそれが当然のようにその場に存在することになる。苦労はしたが一度決まると、枝が部屋の中の空気の動きを感じて本当に静かに回転を始めた。








漸減する線分は周辺に削減する


三回続けて愛知子供の国でのインスタレーションである。今回の仕事は前々回とは反対に木の枝の太い部分を中心に集めて円形に並べてみた。この一連の仕事では素材の枝探しも実は人まかせにした。公園の植木職人さん達が枝落とししたものを集めて頂き、その枝を見た時に思いついたまま並べてみた。特に今回表紙のことばに登場するインスタレーションに使用したものは、自らでは決して選ぶことのない枝である。しかし、不思議なことに、どのようなものであれ、目に見えない所で秩序や法則とでもいうものをその内に秘めていたり、それに支配されている。そのようなものに作為を盛り込まず、行為を投げかけることができれば自然と納得できる形が生まれる。ことさら先に作りたいイメージがあるわけではない。その素材が自然と導いてくれる形というものがある。かと言って、毎日、目を皿のようにしてその秩序や法則を探している訳でもない。たまにふと思いつくのである。その時にすかさず手を動かすことを心がけている。すると必ず行為の結果としての形が残る。物と物、あるいは物と人との関係には、美しくならざるを得ない自然の摂理とでも言うものが必ず存在している。それを求めてひたすら手を動かし続けているというのが、あるいは私の美術というものだろう。








幡豆からの報告 円より


前回と今回の作品は共に、愛知子供の国の依頼で制作したインスタレーションである。インスタレーションとは仮設の意で、展覧会の期間中だけそこに設置して会期が終了すると撤去される作品のことをいう現代美術用語である。最近はこれが大流行で平面(絵画)の作品を発表すると「まだ平面をやっているの」等と言われてしまう。この用語も実は欧米では先に書いた意に限定したものではなく、従来の作品を会場に作品を展示することも同じ言葉を使っている。欧米のギャラリーでは会場での作品の展示をとても重要視する。一つにはそのことから発展した用語及び発表形式なのだが、一度日本に入ってくると、その展示の新鮮さから「これからの美術はインスタレーションだ」となってしまう。一つのスタイルが脚光をあびると全てそれ一色になってしまうのは現代美術だけではないが、困った傾向である。そんな反発からここしばらくはインスタレーションの発表は控えてきた。しかし、子供に「こびず」「分かり易い」美術を考えなくてもかまわない、の担当課長の声に勇気づけられ、久々のインスタレーションである。公園内に落ちていた枯れ枝を集めて壁に円を描き、空間を埋めていく。枝は選ばず、考えず、手に取ったらそのまま壁に取り付けていく。方法はいつもと変わらない。








漸減する線分は中心に消滅する


禅者が悟りの象徴として好んで描くものに円相がある。画面に円を一つ描いただけのものである。江戸時代の禅僧仙の円相に「これくふて茶のめ」とかたわらに書いたものがある。まことに見事なものだが、最近の円相図で良いものを見た記憶がない。どこか悟ったかのように思わせ振りで、嫌味なものが多い。円相は絵心がなくとも誰でも描ける。しかし、端に円を書いただけならば、それは芸術でもなければ、ましてや悟りの象徴と呼べるような代物ではない。少し練習すれば歪みのない円は筆で描けるようになる。しかし歪みのないことと悟りとは何の関係もない。仙崖のような円相を描くのは無理としても、せめて良いものを理解できるようにはなりたい。また、どのように高名な人物が描こうと駄目なものは駄目と言う勇気だけは持ちたいものだ。さて、今回の表紙は枝で円を形作ったものである。大きな事を言った後で自作を提示するのは気恥ずかしい限りだが、私なりの円相図である。枝を手に持ち次々と壁に取り付けていく、何のよどみも無く、坦々と…。しかしそんなことは関係ない。結果が全てなのだ。「私も家に帰って作ってみます。」と私の作品を見た人によく言われる。「そうですか。頑張って下さい。」と私は心にもない返事をすることにしている。









等分は無限の方形を発生させる。


実は、放浪の俳人井月の墓参りを山頭火の日記と共に辿った一冊をこの春に上梓した。懐かしさの漂う写真にも助けられて美しい本に仕上がった。私はこの本を刹那と言う言葉で締めくくる事にした。刹那とは極めて短い時間を意味する仏教語だが、刹那的となると、どうしようもなく瞬間の快楽に流されるという受動的なものとなる。それが刹那主義となるとそこには瞬間に対して全力を尽くすという能動的な意味合いがある。山頭火の生き様は明らかに刹那的だが、その句が輝くのは刹那に生きた瞬間である。普通、とてもではないが山頭火のように見事(?)にだらしなくは生きられない。しかし、時として制作の手順やその結果としての形が同時に、しかも瞬時に訪れることがある。今回の仕事もそのように生まれた。一つの枝を等分に切り、それを順に直角に結んでいっただけのものである。表紙に使ってきたこれらの仕事はみな一様に小さい。勢い制作時間は僅かである、そのときの感情がそのまま形になって現れる。反面、いかようにも安易なものに流される危険と隣あわせである。それだけに出会いの瞬間が重要な意味を持つ。その点で彼我に違いはない。俳句は実のところ分からない、しかし俳句に潜在的に親近感を感じるのはそのような事からなのだろう。

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蛇行する線分を直立させる方法


一本の枝から細い枝が二本出ている。この枝は確か富士の一合目で手に入れたものだ。痩せた土地特有のひょろひょろした枝が気に入り、アトリエまで持ってきておいた枝だ。枝を適当な長さに切り落とす。すると三本足の枝ができる。ある物を安定して立たせる(立たせなくても寝かせても同じだが)ためには三点の支点があればいい。三本以上だと着地の位置が全て同じになるように足の長さの調節が必要になる。さて、今回のテーマは、どこから見ても枝を垂直に立たせる事である。そのためには足の長さが一本短い。そこで庭にあった石を突っかい棒ならぬ、突っかい石とする。これで完成である。その内、風でも吹けば倒れてしまう。美術がやっかいなのは絵画であれ彫刻であれ、残るがゆえに物品売買としての経済的価値がいやおうなく生まれる。結果的に残らないものは、美術としては認めがたいという風潮も生まれた。しかし、音楽であれ、演劇であれ、ダンスであれ芸術の全てが残るわけでもない。もちろん、CDやDVDで残すことは可能ではあるが、残る芸術は少なく、完全な形で残される美術こそが特別なのだ。無価値な物に価値を見い出すことが芸術の本質なのだろう。そのことは芸術作品の売買を否定するものでもまたない。








一つの長方形と一つの直線が支える円柱の四分割


無垢の鉄の塊を四分割にしてできた扇形を積み重ねたものである。同じ四分割でも石や木ならば割ることもできるし、鋸で切ることもできる。木を切る鋸には細かな目もあれば荒々しいチェンソーもある。鉄は割ることはできないが切ることはできるし、溶断することもできる。素材と分割方法によってその表情は全く違う。現代の美術で最も重視されるものに作品のコンセプトがある。コンセプトとは一般的には概念と訳されるが現代美術の用語としては、美術の新しい視点や新しい意味付を主張することである。第二次世界大戦以前の近代の美術は個性を表現することが重視された。しかし、現代の絵画には何をどのように描くかという造形上の問題よりも、描くという行為あるいは表現という行為は人間にとってどのような意味を持つのかというような根元的な問題を問い直そうという姿勢が顕著に現れている。そのことだけを考えると、何をどのように四分割しようかということはさほど重要な問題ではない筈である。しかし、コンセプトに基づく行為がもたらす結果は常に視覚によって判断され、そのことが現代の美術の形式がどのように前代の美術と遠く隔てていようとも現代美術が美術たる所以なのである。








屈折する円柱に内接する平面


木の幹の曲がった部分を幹の径の倍ほどの長さに切り取る。そしてそれぞれの切り口の中心を通る板をチェンソウで切り出す。すると二枚の板の角度が微妙にズレた形が出来上がる。と、まあ、毎度のことながら似たような事しか思いつかない。それでも僅かずつ変わりながらも続けている。私は平々凡々という言葉が好きだ。しかし、近代から現代の美術には平凡という言葉はほめ言葉ではない。個性を表現することに主眼が置かれ、その独創性が高く評価されてきた。ときには異常性すらもが讃美されてきた嫌いもある。話は変わるが、芭蕉も一茶も山頭火も、そして山頭火が思いを寄せた井月も、句作の旅に出た。漂白への姿勢はそれぞれ違うが非日常性を旅に求めたことは共通している。変わりばえしない日々に変化を求めたい気持ちは心情的には理解できるが、日常性は長続きしない。しかし芭蕉のように「旅を栖」とする旅ならば旅もまた日常性となる。芭蕉はさらに厳しい旅という日常性を求めたのだろう。貧乏性なのか私は旅はあまり好きではない。旅を目的に出掛けたことはない。ましてや非日常性から刺激を求めようとは思わない。変わらぬ日常性の中のささいな違いに反応する美術もあっていいだろう。







漸減し、漸増する順列


二本の小枝を用意し太い部分から順に等分する。それを平行に太い方から順に等間隔に並べる。別の枝を細い方から順に太くなるように並べ、枝の両端を糸で結んでいくと自然な比率で細くなり、そして太くなる縄ばしごが完成する。19世紀末、印象派の画家達はそれまでの「理想とする自然を描く」ことから、「印象を画布に止める」ことで自我を表現するようになる。その後、表現主義は目に見える形態の再現よりも自我の表現を重視し、色彩は自然に因われず、自由に取捨選択するようになる。キュービズムは一つの画面に立体的な視点で画面を構成する。シュールリアリズムは何者にもとらわれない精神の解放を主張し、造形主義は色も形もその全てを自らの意志により生み出そうとする。近代の美術は様々な方法で自我を画布に定着しようとした。いきおい近代の芸術あるいは社会にとって自然とは克服すべき対象だった。「自我の追求」とは反省的な言葉で言えば「欲望の追求」となる。やがて、それは行き過ぎることになる。現代の病いとしての環境問題も、それ以後の芸術に一様に認められる「個人性を否定」しようとする姿勢もそのことと関係する。そして、現代の芸術家に求められる資質の一つが「新しい人と自然の関係」を創り出すことなのだろう。








軌跡


私の家の周りには豊川の砂利がまいてある。色も形も大きさもバラバラでどこにでもある石が私には手頃である。昔から料亭などで使われる、那智黒と呼ばれる黒い砂利は美しいが、あらたまった感じで、私の家に使うには少し恥ずかしい。ある時、その砂利の中の石に白い線の入ったものを見つけた。気がついてみれば、そのような石はいくらでもある。拾い出したら、手の中に入りきらない程に集まった。その石の線が直線を描くように並べたり、円を描くように並べてみた。展覧会場に直接配置することも可能だが、写真撮影して版画に仕上げてみた。実物の場合には視点が見る人によって違う。そのため印象は人によって違う。しかし写真ならば誰しもが同じ線を見ることができる。石の成り立ちを考えてみれば、それに線があることには何の不思議もないのだが、このようにして初めて我々はその事実を認識できる。もちろん私も含めてである。美術とは、おそらく見ることを学ぶことなのである。見るためにはその物との間に適切な距離をとらなければならない。しかし、本当に理解するためには懐に飛びこんで行かなくてはならない。すると距離をとることはできない。そんな、つかず離れずの距離感がなかなか難しい。

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重力は三角点に着地する


最近、彫刻を立体と呼び、絵画を平面と呼ぶことが多い。もちろん、その背景は現代美術の作品が従来の絵画・彫刻の枠に収まらないからである。具象・抽象という言葉もある。現代美術の作品では、それと分かる物を描いたり彫刻することは少ない、そのような作品を見ると抽象ですねと、多くの人はいう。しかし、抽象とは具象を抽象化することで、なにが描かれているのか分からないものが抽象作品ではない。それが抽象であるのならば、おそらく絵画・彫刻という言葉があてはまり、絵画・彫刻であるのならば、額縁・台座が必要となり、またそれがふさわしい。会場全体を作品化することも増えており、そのような仕事を、日本ではインスタレーションと呼んでいる。
19世紀末、ウィーンで活躍した分離派は「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を」といった。時代は常に新しい作品、つまり「新しい形式」を生み出し、それに伴いそれを表現する言葉も新しく作られる。
  三又を持つ枝を逆さにして、その先端に石を縛り付ける、枝はできる限り長く、石はできる限り大きく。地面と接する三点が作る三角形の内側に石の重心が有る間は倒れずに立つ。そういえば、「立体は寝てはいけない、それは寝体で立体ではない。」といった現代美術家もいた。








結ばれる為に線分は発生する


庭の欅の枝を払った。その枝からはるかに細い枝が二本出ている。その先端を結ぶと微妙なカーブを持つアーチが出来た。話はウィーンの個展での見聞。画廊はあの悪名高い、ギロチンの露と消えたマリーアントワネットが幼き頃を過ごした「シューンブルン宮殿」にほど近い所だつた。個展の合間に中庭を散歩すると、並木がアーチ状に形造られ、アーチの形以外の枝の全てが切られている。いまだ、若葉の前の季節のその光景に、私はまざまざと西洋の自然と人間の関係をつきつけられ、寒々とした思いを禁じえなかった。自然と対峙し、自然は人の思うままに開発し、利用できるという、彼らあるいは西洋中心の現代社会の自然観と私の自然観とは少し違うようだ。樹木を人間の思う姿に変形させるという趣味は日本にもある。盆栽がそれである。しかし盆栽には自然への畏敬、憧れが疑似自然のミニチュァとして現れていると考えるのはあまりに私の日本びいきのゆえだろうか。同じゆがみの形ではあるが、そこには越えがたい西洋と日本との自然観の違いが横たわっていると感じるのは私だけなのか。本質的には彼我共に好きになることはできない。しかし同じゆがみでも、どこか盆栽の方に私は一抹の安心を覚えてしまうのである。








小さな、先行する二叉


彫刻は彫塑ともいう。辞書風に書けば、彫刻とは、木・石・土・金属などを立体的に彫り刻むことであり、またその彫り刻んだものである。塑とは粘土のことで、塑造とは可塑性(一定以上の力を与えると変形し、元に戻らない性質)のある材料を使って立体を成形、あるいは成型することである。材料としては土の他に蝋・石膏・漆等が使われる。
 「彫」と「塑」は長い間の立体造形の代表的な技法であった。その為、彫塑あるいは一般的には彫刻という言葉が使われてきた。もちろん現代の彫刻をその字義的解釈ですべてを包含することはできない。しかし、心の中に思い浮かべる形の実存を求めて、彫り、刻み、そして組み立て、あるいは成形・成型することはおそらく変わっていないだろう。
 その意味に限れば、私の仕事は彫刻にはあたらない。今回の表紙の仕事は、二叉の枝が持つ三つの丸い断面にそれぞれ内接する四角を元にして三つの直方体を切り出したものである。もちろん彫り刻むという技法の上に、出来上がる形もおよそ想像できる。しかし、それはイメージや心象の具現にはあたらない。しいて言えば概念の具現なのだろう。「芸術とは理念の感覚的顕現である」というヘーゲルの言葉が常に頭から離れない。








4分割され二股に支えられ円弧を成す円柱


景象の36号の表紙の言葉で枝を2あるいは4分割する話を書いた。今回も枝を4分割している。曲がった枝は割りが最後まで入らない、その為、反対側からも鉈を入れた。それだけで、36号とは全く違う結果が生まれる。永年、似かよった行為を続けている。しかし、決してシリーズ化や、一つのスタイルを作り出そうとしているのではない。ふと曲がった枝を目にしたことから作業は始まる。そんな日々の出会いを大切にしたいと思う。あえて新しさや、刺激的な仕事をしようとは思わない。(もちろん曲がった枝の発見その事は、私にとって十分に刺激的な出来事である。)
 古来、多くの人が非日常性や出会いを求めて旅に出た。しかし、非日常の日々は続かない。連続する日常の中にこそ見い出し得る、ささやかな出会い、わずかな変化がある。永く厳しく、退屈な「褻」の後に訪れる「晴れ」を人は待ち望み、舞い、踊ってきた。「晴れ」は出会いの日でもなく、発見の日でもない。収穫を喜び、祝い、来るべき明日を迎える日である。
 個を主張し、違いを強調し、刺激を求め、非日常性を賛美してきた、20世紀も終わろうとしている。もう十二分に我々は飽食の時代を過ごして来た。そろそろ、それも終わりにしたいと思う。










ここ十年程、土を素材にした仕事を続けてきた。土は含む水の量によってさまざまに変化する。水の量が適度であれば、ペースト状となり絵の具となり、さらに増やせばそれは、水彩絵の具となる。粒子が細かな場合、粘土となり成形が可能となり、彫刻の原形となる。乾けば日干し煉瓦として家造りの素材となる。さらに熱を加え、水分を人工的に零に近づければさまざまな焼物となる。
 自然界では、水分が多い場合には土石流となり、極度に少なくなれば砂漠が生まれ、水分がなくなり限界を超えた高温となれば溶岩となり、共に災いをなす。
 土を使った仕事を続けてこれたのは、単にこのような、土の持つ包容力による。ことさら新しいプランを考えなくても、次々と土が導いてくれた。今回の表紙は、土で染めた布と枝を使った茶室の模型である。土の有色物質の多くは土にわずか約5%含まれる鉄である。その酸化度や含有料によって色が生まれる。土は顔料として古くから使われてきたが、泥の中に含まれる鉄分を利用した染色もさかんに行われてきた。
 我々の日常はすべて土の上でこそ成り立ち、注がれる水の量と緯度・高度によってさまざまな風土が形成されてきた。それが故に我々の美意識・色彩感覚も又、土と水の関係により育まれてきたのだろう。

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円錐の体積が一の時、球のそれは二であり、円柱は三となる。


ある時、数学の入門書を眺めていた。それによると、直径と高さが同じ円柱と、それに内接する球と円錐の体積の比は3対2対1である。このことはユークリッドからアルキメデスによって証明された。  私はアルキメデス以来の大発見をと、勇んで庭にチェンソーを持って出た。まず太さ10cm程の桜の枝から太さと同じ長さを切り取る。ついで、こけしの頭を作るように球を削り出す。さらに先端を尖らし、最後に枝から切り離す。これで目的の円柱と球と円錐が出来上がる。もちろんチェンソーでは正確に削り出すことなどおよびもつかない。
 印象派のモネは、刻々変わる自然の光からもたらされる色彩をキャンバスに投影した。それは自然をそのままに描写するのでもなく、もちろん説明の為ではない。私にとって興味深いのは体積の比でも体積の求め方でもない。モネにとって光が創作の動機であったように、私にも、たとえそれがたあい無いものであれ、仮にいかがわしいものであれ、チェンソーを使う動機が必要なのである。あたかも犯罪には常に動機が伴うように。しかし、最近は人を殺すことが殺人の動機になる。考えてみれば、それもさほど珍しいことではない。芸術の為に芸術する輩が巷にはあふれている。








二辺の内一辺が二等分された線分に囲まれたとき
それを正三角形と呼ぶ


円相図の横には「これくふて茶のめ」と仙崖は書いた。250年程前に美濃に生まれた臨済の禅僧である。その仙崖には「○△□」を書いたものもある。円は悟りの境地の完全性の象徴であり、いわば禅的な生命観、宇宙観の構造を表徴するという。
 二叉の太い方の枝に、鉈の刃を入れ二つに割る。割った枝の両端に最初の二叉の先端を麻紐で結ぶと正三角形が出来る。一目見た多くの方が「私でも作れそうだ」と思う。事実、家に帰って試してみた話もよく聞く。もちろん、私が再度同じものを作る事も容易すいが、それは似て非なるものである。枝に出会った瞬間にプランが頭に浮かび、その瞬間に手を動かした時だけが、私にとって意味のある仕事となる。禅僧は単純で簡潔なものを好んで書いた。「○」や「○△□」は書くだけならば誰でも書けるが、全てが禅の芸術ではない。作者の悟りが徹したものか否かが、その芸術性を決定する。
 悟り等という大それた事は、怠惰が理想の私には望みようもないが、自らの行為には最低限として納得する為に、自らに課した三つの原則が「考えない」「直さない」「時間をかけない」である。坊主にも天才にもなれない私が、今のところ作為や邪念から逃れる唯一の方法である。








線対称とは全ての線分がそれぞれ対称形を持つことである


新聞や雑誌の取材で時に肩書きとして、造形作家と書かれることがある。ところが私は造形という言葉が嫌いである。芸術を「理念の感覚的顕現」とヘーゲルは定義した。理念とは理性によって到達する最高の概念であるが、これでは難しすぎて取りつく島がない。もう少し分かり良い言葉で私なりに解釈すれば、感じたことや思ったことをそのまま目や耳等で感じる形にすることである。しかし、まだ相当難しい。私の理解では「造形」という言葉は、まず前提として形があり、それを技を使って作ることである。しかし、ヘーゲルの定義によれば、形とは最終的な結果である。
 数種類の太さに分かれた枝がある。それぞれに太さが同じシュロの縄を縛り付ける。それらはやがてまとまり一本の縄として集約される。縄と技による疑似対称形が出来上がる。
題名を「線対称とは全ての線分がそれぞれ対称形を持つことである」とした。もちろん正確な線対称の定義とは全く違う。そんな駄洒落のような代物のどこに理念と言う高度なものがあるのかと問われると少し困る。
 私が面白いと思ったのは枝が縄で型どれることである。そして手を動かし、忠実にその行為を試みる。すると、行為の跡には必ず何らかの形が残る。それが時として、美術の範疇に入ることがある。それも面白い。







三角柱と円柱の共存


11月のウィーンはとても寒い。ウィーン経由でブルガリアでの展覧会の為に数日滞在した。街をブラブラと歩くとあちらこちらに暖炉用の薪が積んである。目についた山の中から丸太を四分割にしたものを黙って一本頂いた。さらに歩くとそこはシェーンブルン宮殿。マリーアントワネットが15歳でフランスのルイ王家に嫁ぐまでを過ごしたハプスブルク家の夏の宮殿である。今は広い公園となっている。地面の枯枝に手を伸ばすと、バリッという音がする。白く光ったその枝はしばらくすると手をびっしょりと水で濡らす。
 数本の枝と薪を日本に持ち帰り、丸太の欠けている部分をその枝で象ることにした。その場合、枝を使ってコンポジションするわけではない。元の丸太の太さを想定し、どこまでも欠けた四分の三を補う作業に徹するのである。
 曲げれば折れてしまう枯枝と、塊としての薪の素材としての存在感は比ぶべくもない。ところが、作業を終えるとそれまで欠落していた部分が、枯枝の脆さ故にかえって虚ろな実体として存在を主張し始めることになる。安定した状態へのどこか天の邪鬼的な物足りなさ、あるいは見えざるものへの憧れ、それとも禁断の果実への欲望とでもいえる感情が、人を表現に向かわさせるのだろうか。








四角形の内角の和は360度である


確か、三角形の合同の定義の一つにこんなのがあった。「二辺とそれにはさまれる角がそれぞれ等しいならばその三角形は合同である」。四角形とは「四つの直線とそれによって作られる4つの内角を持ち、その内角の和は360度である」。
ところで二叉の枝とは「二辺とそれにはさまれる一つの角を持つ形である」。とまあ、こんなことを考えながら作品を作っているのではない。また、素材としての石や枝を前にして、どう生かせば良いのかと日々考えているのでもない。
 それは、ある日突然やって来る。瞬時に、まず作品のタイトルが頭に浮かび、それと同時に、制作の手順と完成した姿とが、三点セットでやって来るのである。
 四本の二叉の枝を求め、それぞれの先端を順に麻糸で結んでいくと四角形ができる。ところが出来上がった形は正確には四角形ではない。当然、内角の和も360度ではなく、四辺も直線ではない。作品として成立する上で、三点セットは前提条件なのだが、やっかいなことに、その通りに出来上がっては少し困るのである。人知では計り知れない、ある種のトラブルやアクシデントが発生することを私としては期待している。つまり、四点セットが必要なのだが、中々そうは都合よく、揃って来てはくれない。

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出かけた先で石を拾ってくることが習性になっている。集めてどうしようということもない。いつしか失くなってしまったものも多い。それでも出かける度になにがしかの石を手にして帰ってくる。
 好きなものは海岸に落ちている石である。永い旅の間に角がとられた自然な丸味が気にいっている。割れた直後の角が立ち主張の強い石はあまり好きではない。しばらく川を下って、少しだけ角が丸くなったものはさらに気にいるものが少ない。どこか生ぬるいのである。
 ある時、伊良湖の海岸で手にした石がある。伊良湖の石は球形のものは少ない。平たく、とても奇麗な楕円や円形のものが多い。手にした石もそんな伊良湖の普通の石だが、その面に凹みがあることが回りの石とは少し違っていた。その凹みに合わせて、小石を二つ拾って置いてみた。すると、私が手にする遥か以前からその状態であったかのように、よく馴染んでいる。少しの違和感もない。
 個展会場のメモ用の文鎮にもう永く使っている。目に止めた方がいると嬉しくて、伊良湖の海岸で見つけた時に、すでにこの状態だったと、罪のない嘘を言う。すると多くの方が半ば疑い、半ば信じてくれる。








距離と重心の積が同一となれば平衡する


ある会議に出席の為北海道に出掛けた。帰りに支笏湖に寄った。肌寒い湖畔を歩き、ふと目に入った石。手にして見るとそれは湖創生の頃の軽石だった。弥次郎兵衛を作った記憶は誰にでもあるだろう。手の長さと、重りの大きさをほぼ同じにすると釣り合う。比重の少ない軽石と比重約2.5の普通の石を重りに使うとどうなるか。手の長さの違う弥次郎兵衛が出来上がる。帰りの飛行機の中でもその事ばかり考えて、豊川に石を求めて作ってみた。
 スーパーに行けば手に入る風呂用品としての軽石は私も知っていた。しかし、自然の軽石であってもそれは私にとってシステムに組み入れられた工業製品でしかなかった。
 支笏湖での出会いは単に軽石という素材を知った事ではなく、リアリティーを持った形で「知る」ことの意味を教えてくれた貴重な旅となった。
 最近は居間にいながらにしてTVのモニターを通して、情報がいやおうなく目や耳に入ってくる。コンピューターの普及はリアルタイムで世界を情報ネットで結んでいる。しかし、自らの手でつかみ、目で見たリアリティーと、仮想現実でしかない、モニター上の情報とは全く別物であることを知ることが、とても重要な時代だろう。








一つの二股を持つ円柱の2等分


一本の枝を二つに割る。それぞれ向きを変える。次に同じような枝を四つに割る。やはり、それぞれの向きを変える。 いずれの場合も頂点を結ぶと正方形になる。

それがどうしたと言われても困るし、くだらないと言われれば二の句はない。
 美術家の心の中に美を創り出せる力が秘められていると、疑いもなく信じることのできた時代もあった。人が自然を無制限に、あるいは反省もなく利用することが傲慢や思いあがりとは思わずにすむ幸せな時代でもあった。
 そして今、我々の時代の何人かは個人性の主張が美を創り出すことができるという考えに異議を唱え出している。美は創り出すのではなく、すでに自然の中に用意されており、我々はそれに出会うだけでしかない事に気付き出している。しかし、残念ながらまだ仲間は多くはない。
 枝の断面の円が、私のわずかな行為で正方形に変わる。その上、その枝が一つの枝分かれを持っていたならば、他の何物の介入も必要とせず、過不足なしに、二つに分かれた枝を結びつける方法を示唆している。まさしく、自然の配慮が行為を美術ならしめている。この事は私にとっては勿論、美術にとっても意味のあることだろう。








二つの二叉による三つの支点。


行為はどこまで減ずることが可能だろうか。思いを込める量と結果が比例するとは限らない。二つの枝を手に取り、糸でくくる。それでも、いつの日にか、手に取った枝をそのまま自信をもって、そのまま提示してみたい。