ブログ 美術 平面事始め

▼2010-07-20 11:10
豊橋市美術博物館 常設展示

久しぶりに豊橋市美術博物館に出掛けた。浜松の平野美術館の関係者から、松井守男展のオープニングに出席するからと、誘いがかかった。興味ないと断ったのだが、是非にと… 仕方なくでかけた。結果は予想どおり。
 しかし、オープニング企画の山下洋輔のピアノはさすが。予期せぬことで、得した気分。豊橋市美術博物館の展示室でもコンサートが許されるようになったのだ。有名人ゆえの特例か。
 学芸員から、2階の第4展示室に私の作品が並んでいると伝えられる。常設展示のタイトルは「線と面からみえるもの」。木村忠太・荒川修作・桑山忠明・浅野弥衛・九野真らと共に、香川県高松市で採集した土による私の作品が並んでいた。



高松地質調査16-1 186 X160cm 1994 土・麻布





高松での土の採集
所蔵の愛知県ゆかりの現代作家を集めた展示のようだ。豊橋市美術博物館でも少しづつだが、現代美術に目をむけているのだろうか。展示は8月22日まで。
 話は変わるが、数年前、豊橋市美術博物館の収蔵品展があった。そこでびっくりしたのだが、昨年還暦を迎えた私が、最も若い収蔵作家だった。作家が育たない地方なのかそれとも、新人作家に目を向けようとしないのか。理由は分からないが、正常な状態だとは言い難い。色々な意味で前途多難だ。


▼2011-03-24 16:02
「層」のシリーズ第一作が美術館に

豊橋市美術博物館の常設展示に、私の作品が並んでいた。その会場で美術館館長から、さらに作品を収蔵したいとの依頼。
そこで、土の地層を段階的に採取し、それをそのまま帯状にドローイングした「層」のシリーズ第一作を寄贈することを約束した。





東浜田地質調査16-1/16-2  1994 186×160cm  土・ボンド・キャンバス

豊橋市と田原市の境界あたりで、上下2段に別れて露出していた地層から採取しドローイングしたもの。
 昨年の7月に話が始まって、やっと受理手続き完了の通知が先ほど届いたばかり、寄贈といっても収集委員会での決定が必要となり、美術館の収蔵とは手間のかかるものだ。


▼2011-04-11 11:03
地方の現代美術

豊橋市美術博物館の「新」収蔵品展に行ってきた。2階階段上がって正面、テーマ展示のスペースに私の作品が並んでいた。



会期は6月19日まで。頂いた展覧会スケジュールで初めて知ったが、この作品は、7月1日から8月28日までの、夏休み企画「素材の冒険」展にも並ぶようだ。それによると、「特徴的な素材を使った作品を通して、ワークショップやギャラリートークが行われる」。
 これまで、豊橋市美術博物館の企画で、現代美術に対して、このような扱いの記憶が私にはない。ゆっくりだが、豊橋にも変化の兆しが見えてきたのかノ。それにつけても、今年62歳の私が収蔵作家で最も若いという現実はいかんともしがたい。美術館にも頑張ってもらいたいが、若い作家の意識改革も必要だ。
 近いうちに東京一極集中の是非と、その是正は全ての分野で実行されていくだろう。今回の震災でその重要度はさらに高まっているはず。しかし、地方に分散された時、果たして、地方にそれを担う人材がいるのか、いないのならば、状況は今以上に悪くなる。力量不足や、認識不足の作品により、現代美術への誤解や反発が生まれることを、私は危惧している。


▼2012-03-14 09:45
私の最初の作品

1978年制作の「Fig drawing」が豊橋市美術博物館に収蔵された。ギャラリーサンセリテ発行の図録「伸太郎」の最終頁に掲載された作品だ。つまり、美術を意識して制作しだした最初の作品である。



「美術に係わることでデザインが大衆に迎合しない。デザインに係わることで美術が社会との接点を見失わずにすむ。美術とデザインの斜面が造る山の稜線上を歩け。どちらへ足をとられても谷に落ちる」私のその後の生き方を決めた、画家・山口長男の言葉は、この作品を前にしてだった。
 ブリジット・ライリーの作品写真を手にして、「ハ縦縞のカーテンが風に吹かれれば、このような波の模様を描く。水面に風が吹いて波立てば、やはりこのような模様を描く。絵描きの仕事とは、そのような結果として起きてしまった現象を描くのではなく、現象を起こす眼に見えない風を描け。」と教えられたのも、その時だった。
 私の模索の原点となった作品だ。4月1日から、新収蔵品展で展示されるという。28才の私をぜひご覧ください。


▼2012-03-19 10:23
1980年の青いDrawing

画面はすべて斑点で埋めつくされている。じっと見ていると、左右上下に微妙な動きがあり、濃淡の差による空間の深浅がある。まさしく、藍一色の純粋造形で あり、順列組合わせであり、平均律音楽である。
 作者は、前衛書から出発した若い造形家で、書の手法を現代の造形に的確に生かしている。
 絵画のテク ニックとしては、紙面上に絵具を置き折り重ねて形を写しとるデカルコマニーによっているが、まるで、テクニックらしいテクニックを用いていないかのよう に、一切を自成的に制作しているところが好ましい。
 藍一色によって形成されたこの連続のリズムを眼が着実にたどっていくと、そこには、空間の位相と共 に時間の流れが鮮やかに見えてきて、これが空間を内包した時間の芸術であることが理解される。(瀬木慎一)

 29歳の制作で、個展の最終日が30歳の誕生日だった。会期中に書家の井上有一氏が二度も会場を訪れ、俺の作品と交換しないかと言われたのもこの個展だった。何となく気後れし、交換しなかったが、今となっては、残念無念。数多い、若気の過ちの一つ。
 そういえば、個展の初日は東京には珍しいほどの大雪で銀座も10cmを超える積雪だった。思えば、あれからだった。個展の初日が必ず、雨か雪になるのは… 。個展が終わって、さらに大きなものを描きたくなり、制作した150号の作品が二点、久しぶりに姿を現した。



青色に変化はないのだが、周囲に若干汚れがあり、先週、修復した。



さっそくギャラリーサンセリテの壁にかけてみた。



このまましばらくは、常設展示で並ぶようだ。若かりしころの、初々しい私めをご覧になりたい方、ぜひ、お出かけください。


▼2012-03-30 17:28
初々しい私
豊橋市美術博物館 新収蔵品展
4月1日〜6月17日

今日、別件で豊橋市美術博物館に出掛けた。すると、新収蔵となった私の作品が、2階に並んでいた。この作品についてと、新収蔵品展で並ぶことは、私の最初の作品で書いたが、展示が始まるので、もう一度。



隣は土のシリーズの第一作。

新収蔵の作品は28歳の制作で、別々に書いた、約60cm正方のパネル、12枚を構成したもの。長い間、バラバラで保存していたが、今回の収蔵に合わせて額装していただいた。



次は学芸員による解説。
「土の造形で知られる味岡伸太郎は、当初、前衛書からその活動を始めた。図形と数式で埋め尽くされた12枚のパネルによるこの作品は、書壇から離れてドローイングに移行する時期に手がけられている。数式や図形を正確に筆写するというよりは、コンテで走り書きのように書き連ね、時に訂正やアンダーラインを入れるなど、学生が黒板を写し取ったノートのような自由な筆勢が特徴となっている。ひたすら文字を写し取るという行為は、文字によって「無我」であろうとする作者の一貫した姿勢によるもので、味岡の造形活動の原点ということができる。」
 現在、ギャラリーサンセリテには、30歳の青いドローイング、2点がたまたま並んでいる。今なら、初々しい私にまとめて会えます。


▼2012-04-02 09:49
絵画の軌跡


豊橋市美術博物館の新収蔵品展で、1979年の毎日現代美術展出品の作品の話になった。
 その頃は、画家山口長男との出会いから、美術とは何かを模索し、全て根本から考え直そうとしていた時期だ。この作品も、そのような試行錯誤の中から生まれた。



「紙版画」。1979年 ・毎日現代美術展出品。227 x 182cm


紙版画とは、厚紙を切り抜き、それを重ねることで、その厚さの違いで形と形の間に出来る白い線が面白い。当時は絵画技法についても、それをテクニックとして利用するのではなく、行為と結果の同一性を考え始めていた。
 これはその一例で、細長くテープ条の厚紙を重ね合わせて作った版に顔料と亜麻仁油を練ったもの、つまりは油絵の具なのだが、膨大な制作量を確保するため、高価な既製の絵の具を使わず、絵の具を手作りし、バケツ一杯も用意して制作していた。
 それを、版にたっぷり塗り、裏打ちした絹を載せ、その上に、直接乗り、圧をかけ、形状を写し取ったものだ。版の形状を正確に複製・再現するのが目的ではなく。絵の具を写し取る行為、つまりキャンバスの上を動き回る姿をそこに写し取ろうとした。そのため、同じ版で何度も写し取り、結果もその都度違い、それが実に面白かった。
 この作品も長くお蔵入りしていたのだが、枠を作り、ギャラリーサンセリテに展示した。これで、豊橋市美術博物館と、ギャラリーサンセリテとで、1978、1979、1980年の150号が5点、土のシリーズの120号の作品、2点が並んだことになる。



意図したことではないが、私としても、私自身の美術や絵画の軌跡を振り返り、この30年、我ながらあまり変わらずに続けてきたことを再確認する、良い機会になっている。