味岡伸太郎 展示会情報

味岡伸太郎展 2008
1st 2008 9月20日〜10月9日
2nd 2008 10月11日〜10月30日
ギャラリーサンセリテ F1



個展への長いプロローグ

今年の夏は慌ただしく始まった。
 その始まりは、愛知大学での「芸術論」の講座の採点だった。講義だけなら乏しい知識を掛け集めて話せば、良くも悪くも時間が過ぎれば終わってしまう。しかし、採点はそうはいかない。その上、今年はなんと毎回五百人以上が出席、講義ごとに200字のレポートを義務づけたため、12枚×500人で全レポート数は6000枚。読んでも読んでも終わらない。酷暑の悪夢である。
その間に、名古屋芸術大学の夏休みの集中講義もあった。「本作り」の話を、午前10時半から午後5時まで、五時間はしゃべり続けなくてはならない。準備も大変で、20代から最近の春夏秋冬叢書の出版物まで、ダンボール5箱にギッシリ詰めて送った。汗だくの講義を終え、事務所に息も絶え絶えでたどりつくと、次の週に予定している慶應義塾大学でのシンポジウム「情報技術と日本語」の打合せのメールが届いている。
 私はそれどころではない。その前日〆切の「第四回いなだストーンエキシビション」の石彫作品のプランがまだ未完成。これは、JAGDA(社団法人日本グラフィックデザイナー協会)の会員選抜展。案の上、催促の電話が掛かっていた。幸い(?)講義に出掛けていたため、直接のお叱りは免れたが、かといって猶予をもらえた訳ではない。
何とかプランは送れたが、慶應の準備にはまだかかれない。実は「そう20号・百」と「春夏秋冬の叢書第26号・伝統に生きる職人達」の出稿が遅れ、私のチェックと制作部分が山程残っている。出掛ける前に片付けろと、編集部からの厳命。もう明日は出掛けるというのに、悪夢に途切れがない。シンポジウムの解説映像の準備だってしなければならない……。
という慌ただしさの中で、この原稿も書いている。悪夢はこれで終わらない。シンポジウムの打合せは、前日の夜9時から、─終わったのは12時半。結局それから映像の準備。─当日は11時半終了。その後六本木でのJAGDAの運営委員会に出席しなくてはならない。シンポジウム会場は三田ではなく慶應藤沢キャンパスである。終了と同時にタクシー、小田急・メトロと乗り継いでギリギリセーフ。
 とはいっても、いつもこんな忙しい毎日を送っている訳ではない。この夏は特別慌ただしい。
特別な夏が終わると、実は、いつもと違う秋が待っている。毎年、11月に個展を開いてきたが、今年は少し早い個展である。それも二回続けて開催する。1回目は9月の20日から、立体作品を中心に、2回目は1日休んで10月11日から三週間、平面作品を中心に展示する。会場は豊橋市向山町のサンセリテ。
立体は、木とアルミニウムの鋳造作品。〈700度で溶けたアルミニウム〉と、〈木の燃焼と炭化〉の関係が創り出す色と形が私にはとても面白かった。
 平面は万葉集をドローイングした作品を展示する。今回初めて、コンテで描いた仕事を掛軸に仕立ててみた。美術を始めた30年程前にもコンテで描いていたが、まもなく還暦を迎えるにあたって初心に還ったように楽しんで描いた仕事を見て頂こうと思っている。
 実は、この個展の作品は、大忙しの夏の始まりに仕上げが重なった。せめて会期中は深まりゆく秋を感じながら、好きな作品に囲まれ、ゆったりと過ごしてみたいものである。





味岡伸太郎展
1st
填より




鉄製の型の中に樫の固まりを置き、そこに溶けたアルミニウムを充填。溶湯の温度は約700度、ふれれば樫といえども瞬時に燃え始める。幸い、アルミニウムの熱伝導率は高く冷えるのも早い。表面は燃えても内部まで燃えつきることはない。その上、溶湯に被われた部分は無酸素つまり蒸し焼き状態で炭化する。充填したアルミニウムに対して、木の部分が大きい場合は溶湯にふれた部分が炭化し黒くなり、残りは木のまま残る。溶湯は木と型枠の隙間を求めて流れ、表面張力で先端が丸まりながら途中で冷えて固まる。型枠をはずすと、アルミニウムは強く木をつかんで一体となる。アルミニウムと木の性質が出会うことでのみ作り得る「関係による形」である。













填より 2008-1
 アルミニウム・木






填より 2008-2
 アルミニウム・木






填より 2008-3
19.5×19.0×16.0cm アルミニウム・木






填より 2008-4
19.0×19.5×17.5cm アルミニウム・木







象より「填」 2008-1
39×50.3cm 墨・和紙・アクリル絵の具 水彩紙






象より「填」 2008-2
39×50.3cm 墨・和紙・アクリル絵の具 水彩紙






象より「填」 2008-3
39×50.3cm 墨・和紙・アクリル絵の具 水彩紙





割より「陶」



















味岡伸太郎展
2nd
万葉より

2008年夏、万葉集を書き始めた。万葉集を手に取り、開いた頁の歌を書いている。歌の意味が問題なのではない。重要なのはそれが文章であること、次いで言葉であること、そして文字であること。紙面が文字で埋まるまで書く。コンテが折れ、飛び散り、粉が舞う。和紙は破れ文字にならない。間違った文字は黒く消しもう一度書く。歌の終わりには区切りの線を引く。そこにコンポジションはない。只、ひたすら書いている。結果として、空間にリズムが生まれる。





万葉より一九三七





万葉より五七五






万葉より五七五






万葉より二四九・二五〇・二五一






事より





事より
77.3×33.0cm 和紙・墨












味岡伸太郎展
2007年11月3日(土)〜25日(日)
ギャラリーサンセリテ F1




















花頌抄展
2007年4月3日(火)〜27日(金) 会場:SPACE叢

花・味岡伸太郎/俳句・星野昌彦/写真・宮田明里

昨年の早春以来、味岡伸太郎が花を生け、宮田明里が撮影。
それに俳人星野昌彦が句を詠む毎日が始まって1年が過ぎた。
句、写真共にすでに1000点を越し、
夏にはその内から400点が選ばれ1冊の本になる。



彼岸花昨夜撃たれしごん狐





味岡伸太郎展
扁=三河・鳳来・霧生山よりの報告
2006年2月4日(土)〜3月5日(日)
gallery HIRAWATA


「扁=三河・鳳来・霧生山・断金の譜・五列」 117×79cm×5枚 2005






推古天皇の時代(五九二〜六二八)、 山の頂きに巨大な桐の老木、 神代桐樹が生えていた。その老木の虚洞には竜が棲み、 時折、 濃い霧雲を発生させ、 大雨を降らせていた。 人々は、この山を「桐生山・霧生山」と呼んでいた。 そこには全身が五色金翠で紅紫色を発する鳳凰も棲んでいた。 時は移り、第四十二代文武天皇が重い病にかかられた。 桐生山に住む利修仙人は鳳凰に乗り、 朝廷に参上、 病気快癒の祈祷を十七日間続けると、 やがて天皇は全快され、 霧生山に薬師如来を本尊とする寺を建て、 鳳来寺と命名して労に報いられた。 これより霧生山は鳳来寺山と呼ばれるようになったという。






2006年1月吉日
初詣
鳳来寺山にて






扁=三河・鳳来・霧生山・断金の譜・五列
制作風景
鳳来寺山中の土、水彩紙
79×117cm×5枚 2005
















扁=三河・鳳来・霧生山・平調の譜・六ー1
22.5×22.5mm×6枚






扁=三河・鳳来・霧生山・平調の譜・五ー1
22.5×22.5mm×5枚











味岡伸太郎展
2005年11月5日(土)〜29日(火)
ギャラリーサンセリテ F1


栃木・益子・上大羽からの報告3 117×79cm × 3






栃木・益子・上大羽からの報告 107.5×80.5cm































アートフォルム佐鳴湖VIEWプロジェクト
マンションの建設現場の土砂を30cmごとに採取し
採取順に塗った壁面と、2又、3又の幹に内接する四角柱を切り出した彫刻による
マンションの地下エントランスの計画



土砂採取





味岡伸太郎展
2004年10月30日(土)〜11月23日(火)
ギャラリーサンセリテ F1







「1/2が途中消滅する円柱の四等分からなる四角柱」
130×48×45 cm













制作風景






















2000年から2003年